AI使いの慣れの果て

久しぶりに、友人と会った。 彼は、私が尊敬しているエンジニアだった。 その熱量と、人脈と、知識に対する貪欲さと。 ・ホームアシスタントを自宅に導入し、操作端末としてiPadを使いたい。 ・シングルAPPモードで動かすにあたり、mac環境をかしてほしい。 そんな内容であった。 快諾して作業自体は滞りなく進んだものの。 気

AI使いの慣れの果てのバナー画像

久しぶりに、友人と会った。
彼は、私が尊敬しているエンジニアだった。
その熱量と、人脈と、知識に対する貪欲さと。

・ホームアシスタントを自宅に導入し、操作端末としてiPadを使いたい。
・シングルAPPモードで動かすにあたり、mac環境をかしてほしい。

そんな内容であった。
快諾して作業自体は滞りなく進んだものの。

気になったのは、AIへの依存度。
専門外の知識についてChatGPTを訪ねるのは全然良いと思うのだが
何をしたいか、何をどうするべきか、私との会話の返答、
その他もろもろに、AIの仲介…いや介入があった。


私の質問を、私の代わりにAIに打ち、AIの出力から自分の好きなものをピックアップ。
そして私に返す。

安易に満たされてしまう。
答えを得ている気になってしまう。
解決している気になってしまう。
AIを多用すると、遅かれ早かれこの傾向が出るのだろうなと確信した。

空中戦の記事で申し訳ないのだが。
AIによる創作は、人間個々の発展性を高めている様に見えつつ、その実、成長に関しては阻害している様に思える。

AIネイティブの世代では、好奇心は、育つのだろうか…?


コメント

コメントを読み込んでいます…

コメントを投稿する

お名前とコメントを入力してください。HTMLは使用できません。

0 / 1000文字